メロン記念日が終わった。
最後のステージは、最後であることを強調せずに、ほがらかに進行されていった。うっかりすると「次」があるんじゃないかと思ってしまうほどに。しかしもちろん、そんなものはない。これで終わり。
1曲目の「香水」で、早くも涙が出そうになったが、大切なのは泣くことではなく、見届けること、思いを叫びに乗せること。泣こうと思えばいくらでも泣けてしまう。
だから精一杯叫んで、跳んだ。
1回目のアンコールは「ALWAYS LOVE YOU」で終わった。メロン記念日には不似合いかもしれないその日の青空のように、カラッとした終わりを迎えていくようで、急にこのまま終わっていくのが耐え難くなった。2回目のアンコールで「ENDLESS YOUTH」。客席はいつもよりも強く緑色に光った。4人は涙ぐんでいた。僕は涙を流さず歌った。4人がステージから消えて、4人それぞれのメッセージが映写されたのを呼んで、僕の感情の堤防は決壊した。思春期以来漏らしたことのない嗚咽。大谷さんが書いた「夢」という言葉。それは僕がメロン記念日から学んだ大切な言葉のひとつだった。
まだ終わっていなかった。最後の最後は「This is 運命」。叫べば涙は出ないと思って声を張り上げたら、よけいに涙が流れた。僕がメロン記念日について行こうと決めたのは、ミュージカル「Girl's Knight」千秋楽に、配役の衣装のまま「This is 運命」を歌ったときだった。そのときの景色と、寸分違わず重なった。比喩でなく、初めて泣き叫んだ。自分のこの顔が、あんなグチャグチャな表情になるなんて考えもしなかった。もうどうして泣いているのかわからない。叫んだ。
今度こそ本当に終わった。涙は外に出て、ようやく収まった。
最後、メロン記念日は笑顔だったのに、泣いてしまった。しかたがない。自分の感情のコントロールを超えた。泣き叫ぶということを、メロン記念日から最後に教わった。
終わった。
泣いたあと、笑顔になった。
入学式
始業式
終業式
結団式
結婚式
葬式
儀式が大好きなこの国に生まれて
儀式はすでに決まっていることを
受け流すために行われるということを
「通過儀礼だ」と言った中学教師の顔を
思い出せなくても知っている
誰が参列してもしていなくても
約束が守られていさえすれば
それは粛々と進行していくものと
知らされていたはずだったが
なぜいま、気持ちのほうが粛々としているのか
◆
急に気づく
剥き出しの別れには耐えられないから
式を開きたがる
葬式はこの世に残る者のため
結婚式は子を手放す親のため
そしてきょうは
永遠とかつては思っていた
10年と別れるため
身じたくして
でかける
メロン記念日が解散を発表してから1週間経った。いまだに、「メロン記念日」という言葉と、「解散」という言葉が結びついていない。メロン記念日が解散するということを認識できない。
単に、まだ解散していないからだけかもしれないが、メロン記念日がない世界で生きることを想像してみても、想像できない。
もちろん、そのときが永遠に来ないなどと思っていたわけではない。そのときを予感し、警戒するのはわれわれの身振りとなっていた。だが、10周年記念ライブという場は、その警戒を解かせていた。だからよけいに、斉藤さんの口から解散が発表されたとき、その言葉の意味がわからなかった。
意味は1週間経ってもわからない。ときに過剰に、メロン記念日に意味を読み込んできたが、その前提が崩れてしまったいまは、考えることがとても難しい。考えられずに、悔やんでばかりいる。残り時間の短さと自分の間違いについて、悔やむ。
そうは書いてみたもののいまひとつすっきりしないのは、直感を否定するために書いたからではないかと思った。始めに感じたのは率直に言ってやめてくれ、という感情だった。その否定的な感情の最も効果的な伝え方はなにも伝えないことだが、自分はそれを選べなかった。否定せずに受け容れるという姿勢をああした消極的な形で示すことを選ぶしかできなかった。そのことの釈明として書いた。釈明は何も明示することができない。
(例のエントリのコメント欄はいまだに読む勇気が出ないが)そのあとのエントリのコメントは読んだ。そのなかにいくつか、受け容れるという言葉を濫用するものがあった。その言葉の軽さは信じがたい。すべてを受け容れるという言葉の甘美さに酔ってはならない。そう思うのは、自分がただ受け容れることができずに困惑や反発を覚えてしまったからか。そうかもしれない。それならそれでよい。すべてを受け容れると言うためには相当の覚悟が必要であるほうがよい。
互いが見ることができる部分が局部的な析出であるからこそ「すべて」を受け容れ合うような関係になるということはあり得ると思う。それはその析出の美しさ、稀有さに依る。言い換えればそれらは奇跡を現出させる力であり、その力があるからこそ、局部の接触が全体の受容になりうる。もちろんその受容そのものも奇跡だ。
あれは、この力の源泉を枯れさせかねない、いわば動乱であったのかもしれない。力で押さえつけることが不粋であることがわかっている心優しい者たちは、とりあえず動乱を穏便に鎮静させようとする。そして実際鎮静したのだが、原因の根本が明らかにならなければ同じことがまた起こる。 そう思えてならない。
優しさに強度があっても、根本を明らかにすることができるわけではない。明らかにできると胸を張ればそれは傲慢でしかない。それでも近づく可能性はあるはずで、その方法は結局対話しかない。そのような濃密な対話は成立するのだろうか?
(話は元に戻ってしまった)
辛いことはなにかという唐突で物騒な問いかけに対し、回答は早くすべきだと思い、たいした吟味もせずに、大切なひとが離れていってしまうことだろうか、と答えた。嘘をついてはならないという最低限自分に課したこの平凡なルールは、ここでも守られた。たしかに嘘ではなく、答えてからもこれよりましな回答は考えにくかった。
しかし、ほんとうを答えているともまた思えなかった。「あなたが辛く思っているということが辛い」ということもまた嘘ではないが、ここで求められている回答ではない。もう一歩踏み込んで「そういうことを問いかけさせてしまう、問いかけられてしまうということが辛い」と言ってしまえば、これはほんとうを言ったことに近かった。その勇気はなかった。
物騒な問いかけによって僕らを戸惑わせ心配させ騒がせるというのは今に始まったことではないが、僕らは慣れているというわけではない。ああ、また始まったかとは思っても、本気で「あなたが離れていってしまうこと」を心配するのだ。
とにかくコミュニケーションがしたい。話がしたい。去年韓国に行った理由も結局はそれだ。途切れている旅の記録も、続きが書かれることがあればそのように結ばれる。ではなんのために話がしたいと思うのか。それはあなたのことを知り、あなたにわたしのことを知ってもらい、知りあうことでわからないことがわかるようにかわることを望んでいるからだ。だから面倒な問いであっても、問われているからには答えたいと思う。
そうであっても、これはコミュニケーションだろうか。何が辛いのか、なぜそのような問いを発したのか、問う側がそれらを隠したまま問うても、問われる僕の心をざわつかせはしても、わかりあうことにはならない。問いの理由をわかりたいと思いはするが、その欲求は疑念と表裏一体だ。
甘えたいといわれても、そのまま甘やかすことがわかりあうことにつながっていくのだろうか。わかりあう回路の遮断を許すような、甘い関係は求めていない。生き様をぶつけ合おうと言い出したのはほかではないあなたではないか。その言葉にいまも動かされている。甘えるなら、徹底して熱く甘え合いたい。心の鋭い部分をぶつけあって共に苦しみ、共に楽しむことができる関係だと信じている。信じられなくなったとすれば、それは別離であって、この上なく辛いだろうが、そんなことにはならない。そう信じている。
何度目かの奇跡と呼ぶに恥じない出来事の直後に、その奇跡の意味の検証が正しくされていないと思わせる出来事を現出させてしまうこと、見せかけの等身大の型枠に押し込めることによって可能性をスポイルすること、手間を尽くさずにただある形に切り出すことだけのものにいっぱしの「商品」のラベルを貼ること、こうしたことは今に始まったことではなく、かつて何度も抗議されてきた。いまもこうして抗議したい。しかし抗議したいから、抗議したくさせるこの現状を喜んで受け容れたい。だから1時間の昼休みを利用して4駅先まで新譜を買いに行った。この行為がこれからも奇跡をつくりだすための礎になることを信じて。信じて書く。信じるためには書き残すほかない。取り戻すように書く。
初めて韓国に行ったのは高校生のころ高校では2度行って大学では第2外国語に朝鮮語を選んでそのせいで留年して3度目の韓国は大学3年目のころで4度目はこのメロンFCツアーでそんなことだけで韓国に縁を感じてしまうなんてその程度の縁ならこの国に住むひとはみんなもってる、などと思うけれど自分にとって韓国がさらに重い場所になったことはたしかだ。
旅というのはどこにいくかよりだれといくかが必ずしも重要であるとは思わない。だから行き先はどこでもよかったとも思わない。ただ遠くに行くことが必要だったのか。メロン記念日に会うために海を越えることが必要だったのか。メロン記念日のために「わざわざ」韓国まできているという感覚が? いやただ記憶を増やしたかった。去年の長野でできたかけがえなさすぎる記憶、そういう記憶を作れる可能性を捨てることなどできるわけがなかった。そのための場所がどこである必要があったのかということは、僕はほとんど考えられない。5ショット撮影のとき緑のチマチョゴリを着た大谷さんの美しさが目に飛び込んできたとき、そういう考えはどこかに飛んでいってしまった。アンニョンハセヨとあいさつしロシアンルーレットのポーズを要求しシャッターが降りてコマスムニダとお礼を言った。もともとたいしてなかった朝鮮語の知識はほとんど剥がれ落ちてしまったがそういうことができることがうれしかったし大谷さんは美しすぎた。韓国でよかったと思った。
大谷雅恵
written by せきね (nk at 50mb dot net)